食事は大切だ。食の内容については話したが、食事を何時食べ、どう食べるか?これも大事。いつ、どう食べるかは、其々の行動と大いに関係が在る、と私は思っている。
人の行動は、千差万別。猫は、夜型、夜行性の生き物。人も、生き物なので、どう行動しているかにより、人の暮らしも、千差万別。人の行動は、その行動を支える食事とも大いに関わってくる。食を、いつ食べるか?身体を支え、精神的充足を満たすためにも、いつ食べるかは、重要だ。いつを、うっかりすると、時には、行動(働)途中で、体力切れ、気持ち切れ、となることもある。エネルギーの源が食。エネルギー切れにならないためにも、いつ食べるか、これは切実である。
貴女は、エネルギー切れになった経験はないだろうか?
私は、最初のスウェーデンデン・ホームスティで、経験をした。まだ、スウェーデンの習慣を知らず、まして、食のことなど無頓着であったから、エネルギー切れを起こしそうになった。この経験は忘れられない。
ホームスティ地は、隣国デンマーク・コペンハーゲンの向かい地・ルンド。中心地から20分ほど郊外の住宅街・ビアレッド。夫医師と妻研究者の60代の二人暮らし。子どもたちは独立し、国内で暮らしている。時折、妻の母親がケアホームから外泊に来る、といった初老夫妻。二人とも現役で働き、週末は、近くの別荘で、植物の手入れをしたり、読書したりと、二人とものんびりと過ごしている。
初めてのホームスティ。毎日が目新しく、ウキウキと、ゴミ回収者が来れば一部始終をウオッチングし、瓶回収ボックスがあれば、来る人を待つなど、物珍しさ満載の数日を過ごした。
そして、ホームスティ3日目だったと思う。日曜日。朝食は、いつものように、コーヒー、パン。(私は、自分の習慣で、朝食は抜きだが、郷に入れば郷に従えというので、少しの朝食は摂っていた)時間は、8時半〜9時位か。その後、自転車でビアレッドを探索に出かけた。てっきり昼食があるものと思い込んでいた。だから、朝食は、軽めに済ませられた。所が、11時頃に探索終了し、家に帰り着き、昼が過ぎても、昼食の気配すら無い。段々、お腹が空いてきた。昼食は、いつか、いつかと、待ち受ける。だが、ランチ!の声は、少しも聞こえない。待ち草臥れてしまった。朝食のエネルギーは、自転車を乗り回したので、すっかり使い果たしたからだ。本当に、何か口に入れたい!と思ったが、中心地から離れた場所、自販機も無い。まして、コンビニなど、あるはずもない。お水だけが頼りだった。一時は水で凌げるが、満腹感はやって来るはずもない。空腹感が襲っては去り、水を飲んでは紛らわしていた。次第に、空腹感すら感じなくなってしまった。その時、どうやって気持ちを逸らしたのか、ほとんど覚えていない。諦めにも似た気持ちだったのかもしれない。そうだ、寝ていたのだろう。
そうして時間が経ち、ようやく「ランチ」の声がかかった。時刻は3時過ぎ。ダイニングルームに行って、それで、理解出来た。
ここスウェーデンの日曜のランチ、家族全員が揃い、しかも私の眼から見たら正装であったのだ。「そうか、日曜は、ランチ&ディナーをキチンとして食べるのだな」と、ようやく納得した。つまり、朝食を少し多めに食べるべきだった、と。
メニューは、確か、スープ(何のスープかは忘れた)、ローストポーク、サラダ、パン、デザートにルバブケーキ。
スウェーデン日曜日の昼食は、午後3時過ぎの、ランチ&ディナーとの兼用だったというわけだ。これが、スウェーデンの日曜の食習慣。
私が他国の習慣に、初めて触れた、この時の、衝撃は大きかった。当たり前に、日本では、日曜も朝・昼・夕食の三回が、食事だと思っていた私にとって、初めての一日2食の経験だったから。
以来、食事は、人の行動に合わせ、いつ、どう食べてもいい、人により様々でいい、と考えるようになった。几帳面な日本人の私たち、朝は一日の始まりだから、しっかりと食事しないといけない、と、私は言われ続けてきた。だが、宵っ張りの朝寝坊で、自慢じゃないが、私は、小学校の時から、起きたその足で学校に行くことの毎日だった。だから、朝ご飯など、まともに食べてこなかった。それが後ろめたくもあった。
小・中・高と学校時代は、ずっと朝ごはんほぼ抜き状態。大人になっても、フリーライター職業を選んだので、朝ご飯との縁は遠い。
思い起こすと、学校時代、お腹はやっぱり空いた。いつ食べていたか?それは、夜、夜中だ。当たり前だが、胃が寝る時も動いていたのだから、朝起きて食べろと言われても、食事など出来るはずもなかったのだ。胃に食べ物が残っていたわけで。
この歳まで、身に付いた習慣、ちょっとやそっとでは修正が利かなくなってしまった。いつ、どう食べるかの最も大事なことは、お腹が空いたら、だと思う。
人は生き物。お腹が空いたら食べる、これは、生き物の本能なのではないのか。それに、従うだけでいい、と思う。
食事回数など、一日3食とは決めず、その人の生き物としての状態(主に胃の状態や行動、仕事状態など)で決めるのがいいと思う。回数なども、自分で決める。1食、2食、1・5食と、人により様々で、十分ではないのだろうか。
と、まあ、理屈を並べ、私は日々1・5食状態となっている。仕事有、無し状態で、食べる内容も分けている。
仕事有り日―朝×、昼タップリ、夕×、夜食にアルコール
仕事無し日―朝× 昼タップリ、夕アルコール
といった具合。結果、一日平均1・5食。