私たちの身体内では、体重の55~60%ほどを水分が占めている。水分量が無いと、体温調節、酸素や栄養分の運搬、老廃物の搬出、体液を一定に保つなどの機能が損なわれることになる。特に、真夏の35℃にもなる暑さでは、体温調節が欠かせない。体温調節のための水分補給が必要というわけである。
といっても、その水分量摂取は、一日約1リットルと言われ、1リットルのペットボトル1本を飲用する計算となる。だが、毎日1リットルも飲むとなると、大変なこと。特に、歳を取るにつれ、水分補給も少なくなり、心して補給しないと、体温調節も難しい。
ある年の真夏、母が暮らす街のクリニックから一本の電話があった。「多分、熱中症と思われるので、取り急ぎ、緊急搬送し病院へ入院した」とのこと。当時は、「熱中症」については、一般に認知されていなかった頃だ。慌てて病院に駆けつけると、母は、しっかりしているようだが、話に「天皇・皇后両陛下が来てくれて、綺麗な色のお召し物で、驚いた」などと、あらぬことを口走る。やっぱりこれが、熱による意識不明確な状態なのだ、と初めて知った。
何故、このような状態となったのか?理由は簡単だった。家中の至る所に、モノを積み上げ、換気出来ない、エアコンの操縦が出来ない、熱気のある台所で動く、忙しく休まないなどが積み重なり、体内調節が出来ずに、熱が籠った結果であった。
89歳という高齢であったにも関わらず、健康検査も怠り、70代と同じような行動をしていたのが、遠因であったと、私は考えている。
高齢となるほど、体調管理をまめにチェックし、血圧だけでなく、体重、睡眠、食事内容、休息や水分補給などの自己判断を欠かさないようにしなければ、体調管理は難しい。
特に、近年、高温多湿となる気象にあっては、水分チェックは大事と言える。体内に占める水分割合が多い人の身体には、水の存在は大きい。
私たちが暮らす、地球。この惑星も、水が2-3を占めている。水の惑星と言える由縁だ。総水量14億立方キロメートル、その殆どが海水。淡水は僅か2・5%だが、私たちが暮らしに利用できる河川や湖沼からの淡水は、0・01%。水の惑星に暮らしながら、世界中で利用できる水は、ほんの僅かしかない。
しかも、地球上で暮らしに利用可能な水は、蛇口を捻れば利用できる国、遠くまで運ばなければ利用出来ない国など、生命にとって貴重な水は、地域により偏りがある。
蛇口を捻ると簡単に水確保できる国に暮らす私たちは、水の貴重さ・使用法・循環について、どれほど心しているだろうか。捻った蛇口から水は出て当たり前、とは思っていないだろうか。
顔や手を洗う、身体を温める、身体を洗う、料理をする、炊事をする、洗濯をする、掃除をするなど、身体維持や衛生、暮らし環境維持に、水は欠かすことが出来ない。
しかし、貴重な水を使用するとき、私たちは何を、どう一緒に使い、その使用した後の水が、どうなっているかを考えたことがあるだろうか。使用後の水は、下水処理場で処理され、海に流れ、蒸発し、雨となって河川・湖沼に降り注ぎ、浄水場から、再び私たちの蛇口に流れ出て循環している。このことを、知っていただろうか。
水の使用量も考えねばならないが、水の質については、大いに考慮して使用しなければならない。
私たちが、水質考慮のために出来ること、まずは、炊事、洗濯、掃除、洗面、身体洗浄などに使用する洗剤選びを吟味し、気を付けて使用量を最小限の水量とすることだ。
近年、浄水場での水質向上が図られ、蛇口からの水質は、ひと頃に比べたら、格段に良くなった。だが、一方で、アレルギーを持つ人たちが増えている。確証はないが、それは水質と関係があるのではないか?と、私は疑っている。浄水場は向上をしたものの、私たちの下水処理場での向上はなされていない。
つまり、循環する地球の水は、暮らしからの排水とも密接に関係している。浄水と下水、これは、対を成している。蛇口と排水溝は、水循環の入口と出口、その間に、私たちの身体や住居の衛生がある。生命維持のため身体内の水質向上を図るには、排水溝の向上も図らねばならない。
それは、海水、河川・湖沼の水質へと繋がり、海水生物への生存へと繋がることでもある、と私は考えるからだ。お宅では、洗剤を厳選し、使用量を最低に保っているか?